金田一春彦ことばの学校

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活動内容
ことばの学校年一回開始あ
ことば塾
 

第五回 ことばの学校

日  時 平成16年10月23日㈯ 12時30分開場
会  場 大泉村総合会館

  • 大泉分校…金田一春彦記念図書館
  • 小淵沢分校…高福寺 
  • 高根分校…高根町農村環境改善センター
  • 長坂分校…三分一湧水館

参加人員 約150名

金田一春彦ことばの学校 第五回

 
 

金田一春彦先生が5月19日に91歳で急逝。
悲しみをこえて開校式まで辿りつけたと いう
安堵と戸惑いの漂う参加者の思いを背負って、
芳賀 綏先生が挨拶をくださっ た。
春彦先生が体調をくずしておられる消息に
心痛を覚えていた方は多い。
寂しさ の癒えないこのときに、
先生の遺志をつぐかたちで開校の日を迎えたのだった。
催5回めの今年度より「金田一春彦ことばの学校」と
名称変更をして、 大泉村総合 会館で始められた。

 
 
 
 
 
 
 



■1 開校式挨拶 芳賀  綏

  •  「八ヶ岳が大好きで、何度も今年は来られたとご家族の方にうかがいました。5月19日急逝されました。山荘でお倒れになったとは思いもしなかったことであります。それは口惜しいことでありました。しかし最も愛したこの地で亡くなった。校長先生を失い、主催者、実行委員は途方に暮れました。校長先生がいないということで私がとりあえず開校の挨拶をお引き受けした次第であります。本日から始まる本校の方も、分校の方も秋の一時を、ことばを愛する心を高めるためにお過ごしください。」
  •  金田一春彦先生がもっとも愛した弟子であり、自らも八ヶ岳の山ろくに居を定めて親交が深かった芳賀先生の心のこもった挨拶に、会場は静まり返った。

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■2 講演「父が愛した八ヶ岳」   金田一秀穂

  •  「感謝をもって父親と別れられた。自然に別れることができたと思います。このような思いで今、父を追憶することができるのも八ヶ岳に住んでいたからだと私は思います。父はここで平曲の研究をしていました。父にとって平曲の研究は特に大切なことでありました。研究を完成させることで日本語の音韻、アクセントの歴史がさらに詳細にわかる。八ヶ岳の家でそれを完成させました。作らせていただいたのだと私は思います。」と語った。
  •  講演には、金田一秀穂先生が、大好きな八ヶ岳の自然と温かな人情に囲まれて、40年余を過ごされたご尊父春彦先生への想いを、ご家族の視点から紹介くださった。またこの地で完成を見た「平曲の研究」について、八ヶ岳に作らせてもらったのだと思うと話された。いつもに変わらないユーモアのあるお話に聴衆の笑いさざめきも起き、しみじみとした慰め、癒しの一時となった。

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■3 語りと演奏    上原まり 金田一秀穂

  •  上原まりさんは、筑前琵琶の芸を守る家に生まれ、筑前琵琶会の旭艶の名前を持つ。宝塚歌劇団花組トップスターとして活躍後、演奏活動に入る。その彼女が、金田一春彦先生がこよなく愛した「平家物語」の中から「壇ノ浦」を演奏。朗々とダイナミックな弾きと語りで平家の滅亡を演ずる姿は、ステージ上でひときわ大きく見えた。
  •  続く秀穂先生との対談では、春彦先生への今となっては懐かしいいくつかのエピソードが語られた。会場に来られた、先生のご家族の皆さんを加えて交わりの時が続た。一方、秀穂先生による琵琶語りの、歴史的な背景や流派の今昔におよぶレクチャーもうかがえた。聴衆の感想や意見に専門的なそれが混じる。耳のこえたファンの存在をしのばせる一時であった。ファンに応えて行われた、平家物語冒頭部分の再演を終えると、賞賛の拍手が長く会場に響き渡った。花束の贈呈後、上原まりさんとの記念撮影がひとしきり続いた。

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■4 大泉分校   会場:金田一春彦記念図書館

  •   立命館大学教授の木津川計さんに「琵琶、聴かれざる音楽ながら、さりながら」というテーマでお話を伺った。
  •  「…私は方言とは言いません。地域語といいます。」先生の見識がそこにもある。ことばのアクセントと音楽旋律との関係を東西古今の歌で説いていく。終始和気藹々と進める。聴衆も思わずその歌詞を口ずさんでいる。日本語、外国語にわたる実例からひも解き、先生自ら独唱し、録音資料で検証する。先生の関西弁も興を添え、明るく愉快なときが過ぎた。講演がおわると、笑顔の拍手が続いた。

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■5 小淵沢分校  会場:高福寺

  • 1.「甲州ことば散歩」 小林 是網
  •  「不思議な日本語たち」「甲州方言はことばの宝庫」「そして仏教語に由来することば」といった内容で甲州弁にかかわる面白い話を紹介した。「…私たちは日本語の共通語とそれから地域の共通語、この二つがしゃべれるのはとても素晴らしいこと。今日一つだけ皆さんに持ち帰ってもらいたいのは、自分のふるさとのことばをしゃべろうという勇気です」と結んだ。
  • 2.「お国ことばの競演~秋田・甲州・讃岐~」 越高 一夫・岩川 加代子
  •  越高一夫さんは「昔は、ズーズー弁で皆さんとうまくコミュニケーションをとれずに自殺をしたような人もいた。言葉という問題をそういうところからも特に東北、秋田弁では考えていただければいいかなと思います。」日常読み聞かせ運動に勉める越高さん。方言の特徴と発音の実際を皆で練習した後、「雨ニモマケズ」を実演くださった。
  •  岩川加代子さんは 「おせったい」がとっても好きだったという。今は大泉に在住。讃岐を出て、ふるさとの言葉が懐かしいと語る。孫が「だっちもねーこんいっちょーし」を私に聞く。「だっこもねんねもいい気持ち」と答えると、大笑い。万事がこの調子でした。孫は自慢げに覚えてきたのです。「方言はなつかしくいいですね」。プリントで説明を加えお話を進めた。それぞれの生活文化に話題を求める、笑顔の絶えない交流の時であった。

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■6 高根分校  会場:高根町農村環境改善センター

  • 1.「心の中に生きる巧」~そのことばと実践に思う~
  •   お話し 椙村 彩・解説 高崎 宗司先生
  •  椙村さんは高根町生まれの高校一年生。2002年、中学校の夏休みの自由研究で浅川巧に取り組む。2004年6月『日韓交流のさきがけ-浅川巧』(揺籃社)を表す。現在山梨英和高等学校在籍。後の懇談会では、高崎宗司先生(津田塾大学、長坂在住)が臨席。時代史をうかがった。賞賛、奨励の意を込めていくつかのことばが聴衆からも彼女に向けられた。真摯で純粋なときの流れが会場を包んだ。
  • 2.「日々の言葉・祈りの心」 ~淺川巧の日記・書簡より
  •  当町ゆかりの文芸作品、郷土史に輝く人々のことばや教えを、朗読活動で伝え続けるグループ、総勢13人で熱演。韓国(当時は朝鮮)の民衆と文化への愛を貫いてその生を全うした淺川巧への、同郷高根町の皆さんによる、鎮魂の思いに満ちた朗読の後は、しばらく賞賛の拍手が鳴り止まなかった。

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■7 長坂分校   会場:三分一湧水館

  •  小沢澄夫長坂町長、小松伊勢夫館長挨拶の後、全員が八ヶ岳についてのエピソードを交えて自己紹介。次にさまざまな個性が3グループになり、ワークショップとしてしばらくゲームに興じた。河野 司さんの朗々たる朗読独演を挟んで、アンケートで集めた、八ヶ岳連峰へのイメージ表現を紹介したり、スピーチを通して自己表現するときをもった。心に受け止める八ヶ岳への想いは、希望、安心、安堵といったイメージのほか、詩的興感の醸成地であるとするもあり、情緒に富む知的なことば遊びが展開された。八ヶ岳の裾野に住まう人々の貴重な交歓の時となった。

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■8 特別授業   会場:いずみ木燃館

  •  台詞のない表現、無言劇。そのマイムやマイムを演じることについてヨネヤマ ママコが語った。また実際に彼女が長年の成果として確立させた基本動作についても具体的に演じながらのお話しがあった。なかには演じてみようと所作、仕草をまねようとする人も会場内にちらほら。具象から抽象概念といった領域まで演じる見事さに皆が驚く。ヨネヤマ ママコさんの演技に人々の惜しみない拍手が会場いっぱいに響いていた。
  •  「…がまんして、 海に投げられた針のようにごく小さい取っ掛かりが出てきて、まさに暗闇の手探りで進むという感じ。取っ掛かりを絶望的に作っていく。絶望と友達です。心の奥の本当の声が、肉体の扉を叩いたとき、肉体は待っていましたとばかりに動く。少し動くとまた出てくる。5時間ぐらいになると精神と肉体がぴしっと協調するようになる。その瞬間がうれしくてマイムを続けてまいりました。」
  •  講演の最後にシェーンベルグ作曲「月に憑かれたピエロ」より、マイム劇の場面、いくつかを披露くださった。講演後、実行委員によるティーサービスが会場を和やかに包んでいた。