第二回 ことばの学校
日 時 平成13年11月23日・24日
会 場 小淵沢福祉活動センター(メイン会場)
高根分校…北甲斐亭
長坂分校…法性寺
大泉分校…金田一春彦ことばの資料館
- 小淵沢分校…㈱アルソア本社・スペース森羅
参加人員 約200名
「私達が使っていることばは、人の心を伝えるメッセージの道具として
発達してき
た。また地域に根付いた方言は、
人々の歴史の中で醸成され文化として輝いている。
ことばを大事にすることは人の心を大事にすることに通じている」
と語る金田一春彦
校長のメッセージを受けて、
昨年のフィーバーが甦ってきたような第2回であった。
■1 開校式挨拶 田中美奈子
- 校長先生が体調を崩して欠席のため、長女美奈子さんの校長代理の挨拶でスタート。「標準語とは、一種の人工都市である東京というところの、寄り集まった多くの人に通ずる便利で合理的なことばである。そこではキメ細かくて情緒あることばはどんどん消えていく傾向にある。父は方言のことを短い文学ではないかと言っている。方言の美しさを確認することで日本語はもっと豊かになっていくのではないか」と青森県で目鼻立ちのすっきりした人を「ぐれがれっとした男」と言うことや、ある地方で使われる「はんなり」等の例をあげて、方言の含みもつ豊かさにふれ、この学校が方言を再発見するきっかけになれば幸せだと挨拶があった。
■2 講演 「わたしと日本語」
作家 下重暁子(元NHKアナウンサー)
- 幼少期から講談や本に興味を持っていたという下重さん。病弱で学校へ行けなかった時に、お父さんの本棚の文学書をただめくって見ていた時代が、ことばへのセンスを育ててくれたようだと言う。NHKのアナウンサーだった時、番組紹介のために与えられた10秒の間に、型にはまらない自分の挨拶を工夫して、仕事を楽しくしたとのこと。アナウンサーでも、自分の土地の文化に誇りを持って方言で話す沖縄の人はすばらしいと、ことばへの熱い思いを語った。
■3 ミュージカル「ピアニャン」 劇団やまなみ
- 原 作:小川英子 脚 本:中村芳子
- 昨年に続いて劇団やまなみが好演。第34回講談社児童文学賞新人賞受賞作品で、子猫の野良がヘコタレン立派な野良猫に成長していく物語を、歌ありダンスありのミュージカルに描いたもの。劇団員は会社員、公務員、教員、自営業、フリーター、主婦、学生など多彩で、昼は仕事、夜は稽古と芝居大好き人間ならではの熱のこもった舞台だった。
■4 「方言川柳」表彰式
- 今回から加わった「方言川柳~あたたかなお国ことば(方言)で綴る五七五~」の優秀作品の表彰式。選者は金田一春彦、芳賀綏、中沢久仁夫、玉島よ志子、小林是綱の各氏で今年の題は「いずみ」。
- 金田一春彦賞、芳賀綏賞のほか、高根、長坂、大泉、小淵沢の各町村長賞、各議会議長賞、各教育長賞、八ヶ岳高原賞、ほのぼの賞などが表彰された。
■5 高根分校 会場:北甲斐亭
- 「ことばの中の真実 」というテーマで、清水章子さん・河野司さんのお二人が 樋口一葉「十三夜」、太宰治『御伽草子』より「カチカチ山」(甲州弁バージョン)「 風の又三郎とサイクルホール」他の作品を朗読した。
- 清水さんの「十三夜」は、なめらかな雅文体の一葉作品で、明治の時代に生きた家庭の女の悲哀を静かに浮かび上らせて
- くれた。
- 河野さんは昨年に続いて、甲州弁での朗読。
■6 長坂分校 会場:法性寺
- 「坂本和子語りの世界」と題して坂本和子さんと依田幸三さんが朗読・チェロ演奏・お話を繰り広げた。朗読は宮沢賢治作「なめとこ山の熊」など。
■7 大泉分校 会場:金田一春彦ことばの資料館
- テーマは「セリフの中のことば」。劇団俳優座の岩崎加根子さんが、金田一春彦著の『ケヤキ横丁の住人』の中から「山梨県をたたえる」、向田邦子作の「かわうそ」などを朗読。書棚のガラスの前に黒と白の細かい格子縞の布をかけ、テーブルにはほんのりと赤いシェードのスタンドをともしてゆったりと座っての朗読は、さながら小劇場の舞台のような雰囲気を醸し出した。歯切れのよいセリフまわしは作品世界をくっきりと浮かび上がらせて凄みさえ感じさせてくれた。また紙芝居「泣いた赤鬼」(濱田広介原作)も上演された。
■8 小淵沢分校 会場:㈱アルソア本社・スペース森羅
- 「ことばのルーツを探る『音の不思議』」と題して、音意学者の飯野布志夫氏が、古事記・五行歌を題材として、ことばと音との深いつながりについてお話を展開。氏は文語的方言研究所を主宰しておられ、専門的な上代日本語の世界の面白さを歌とともに紹介してくれた。
■9 ウォーキング 方言で訪ねる「三社まいり」
- 2日目の午前10時より高根町樫山の地域に伝わる「三社まいり」を訪ねる6キロほどのコースでウォーキングが行われた。雨乞いの八ヶ岳権現、晴天祈願の日吉神社、暴風雨よけの風の三郎社に、それぞれ地域の代表が毎日当番として代参していたという。地元の方に昔の風習を説明していただきながら、昔ながらの「三社まいり」を追体験。またこの地域は「風きり里」と呼ばれていたとのこと、「風きり」とは何か、の謎を考えながらのウオークだった。